ご飯を食べれるという有り難さはないわけ?

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html


色々皆さんコメントされてますね。
否定、肯定、宗教的じゃないか?
といった意見まで出られてるようですが、個人的には日本の文化としての作法の一つ。と考えてます。
言う、言わないが当たり前。
なのではなく、箸の持ち方一つにしても昔から教えられてきた一つの文化だと思うんですよね。
つまりできて当然。
両親や育ての親がいない、誰にも教えられたことがないって人は「正しい〜」とか言っても分かるわけもないでしょうけど、少なくとも各家庭で箸の持ち方一つできないとうのは正直どうしたもんかと泣けてきます。
TVで見てると半分も正しい持ち方してないですよね。
恥ずかしいとも思わないんでしょうか?
「持ちやすいから」って理由は子供がフォークやスプーンを握り締めて持つのと大差ないです。


話戻って江戸時代より前から「いただきます」「ご馳走様」と言っていたか?
なんて言われてもその時代に生きてるわけじゃないんですから、分かるわけない。
だからといって、使われてなかったら今この時代に残ってるわけないですよね?
逆に聞きたいところです。
他の国では「言わない」、もしくは「言う」「作法で行う」など様々だとは思いますが、少なくとも日本に生まれ、日本人として生きて日本の食文化で生活しているならば「挨拶」の一つとして考えるのが妥当じゃないんでしょうか。
「お金を払ってるから言わない」じゃなくて、無言で食べる生活と挨拶をして気持ちよく食べるのとどちらがいいかってとこでじゃないですかね?


っていうか「言わない」という方や「宗教的で嫌」って人は、生まれてこの方一度も「いただきます」「ご馳走様」を言ってないんでしょうか。
そうだとしたら凄く寂しいですね。
たぶんろくすっぽ他人に挨拶もできない人が完成するでしょうね。
「そんなことはないですよ!」と怒るかもしれませんが、客観的に言えば日本文化の一旦を蹴った行動をしてるわけですから、と言いつつ「今じゃそんなこと言わなくても生きていけるよ」とか言い始めるんでしょうね。
どなたかの記述でもありましたが、小学生時代なんかは「いただきます」を言わずに食べ始める子は1人で言い直しするという規則がありましたよ。
別に拝んでるかどうかは決まりじゃなかったです。
要はキモチの問題なんでしょう。


モンハンじゃないですが、狩りをして生活してるわけじゃない限り、食物の有り難さなど微塵も分かるわけない現代人ですが、せめて食物を育成、出荷している農家の人には感謝すべきではないですかね?
世界のどこにもそれらがなかったらスーパーにも並ばないし、自分で育てて食べていかなきゃならんわけですよ。
わたしゃ農家の人間だし、豚や牛の家畜も自分でバラして食べてるわい!って人は日本にどれくらいいるでしょうか。
そういった有り難さに感謝して「いただきます」「ご馳走様」を言えばいいんじゃないでしょうか?


ま、これでもお金払ってるんだから当然でしょう!とか言う人はもう食さなくていいです。
餓死でもして下さい。平和ボケし過ぎです。
災害にあったら真っ先に騒ぐタイプでしょうね。残念です。
映画なんかの悪者で「金ならある!金でなんとかしろ!」ってタイプ?
よっぽど自己中心的か、思いやりに欠けた人なんでしょうか。
こんな人達が増加傾向?・・・末恐ろしい・・・。orz